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◆「仁徳天皇陵」

「第16代 仁徳天皇 御歌」

    

高い山に登ってみると、多くの煙が立っている。民のかまどは、豊かで賑わっている。天下は安泰だな。安心された天皇のお気持ちが現れています。
第15代 応神天皇の崩御後、皇位継承者の「菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこおうじ)」が皇位を譲り合っている内に亡くなられました。この間、3年の空位があったと日本書紀に記されています。又、そのあと、仁徳天皇が西暦313年1月3日に即位されたと記されていますが、人家のかまどから炊煙が立ち上がっていないことに気づき、その困窮ぶりに胸を痛められ租税を3年間免除し、天皇ご自身もその間は宮殿の屋根の茅の葺き替えをしないで過ごされたとの逸話があります。




(仁徳天皇陵) ・   「仁徳天皇百舌鳥耳原中陵」 ( にんとくてんのうもずのみみはらのなかのみささぎ )

わが国の前方後円墳として最も大きいのが、この仁徳天皇陵です。正式な名称は「仁徳天皇百舌鳥耳原中陵」です。日本書紀によると、西暦379年(仁徳67年)10月5日に、河内の石津原(堺市・石津町〜中百舌鳥町一帯)に行幸して陵地を定め、同年10月18日から工事を開始しました。仁徳天皇は、それから20年後の西暦399年(仁徳87年)1月16日に崩御されたとしるされています。
古墳の陵域は濠(ほり)を含めて「46万平方メートル」あり、甲子園球場が12個造れる広さです。古墳を造るには毎日2千人の人々が働いて15年以上かかったといわれています。古墳を上空から見ると、円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、墳丘の周りには水を湛(たた)えた濠が三重に巡らされています。
明治5年(1872年)風雨によって前方部前面の斜面が崩れ、立派な石積の竪穴式石室が発見されました。長持型石棺という素晴らしい石棺と、石室面のあいだから金銅製の甲冑・刀剣の断片・ガラスの椀などが見つけられましたが、もとの通りに埋められたといわれています。

 噴丘の長さ(南北)486メートル
 後円部の直径(後円部・東西の幅)249メートル
 後円部の高さ35メートル
 前方部の幅(南側・正面東西の幅)305メートル
 前方部の高さ 33メートル
 周濠を含めた南北の長さ840メートル
 周濠を含めた東西の長さ654メートル
 周遊路一周の全長(2,718メートル)2,850メートル
 本陵の面積464,123平方メートル




「世界三大墳墓・規模の比較」
名     称大きさ(縦×横)高 さ総 容 積完成までの期間
完成の時代
仁徳天皇陵古墳
 Nintoku ryo Tumulus
  (日本国・堺市)
486m×305m35m150万立方メートル
(10t車ダンプカー
27万台分)
15年間
5世紀頃
クフ王ピラミット
 The Pyramid of Khufu
  (エジプト・アラブ共和国)
230m×230m147m260万立方メートル30年間
紀元前2550年頃
秦の始皇帝陵
 Mausoleam of First Qin Emperor
  (中華人民共和国・陜西省)
350m×350m76m220万立方メートル38年間
紀元前3世紀頃


◇仁徳天皇陵・正面


◇周濠の眺め


◇周遊路・南側から東方向の眺め


◇周遊路・南側から西方向の眺め


◇正面の右側


◇←50メートル・周遊路の正面まで・2800メートル→






◆ 「百舌鳥・古市古墳群・世界遺産暫定一覧表へ掲載が決定」

 平成22年6月14日に開催された我が国の「世界文化遺産特別委員会」において「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産暫定一覧表への掲載が決定されました。 この暫定一覧表とは、日本がユネスコへ提出する一覧表で登録をめざす遺産は、まず、この一覧表に掲載される必要があります。
 仁徳陵を中心に広がるさまざまな古墳一帯が「百舌鳥古墳群」と呼ばれており、その東南に位置する羽曳野市と藤井寺市を中心に広がる古墳群が 「古市古墳群」と呼ばれております。ともに4世紀から6世紀にかけて築造された古墳群であり、これら一帯に分布する古墳群が「百舌鳥・古市古墳群」 と呼ばれております。この中には世界三大古墳の一つに数えられている「仁徳陵古墳」を含むなど日本の古墳文化を代表する世界的な遺産として高く評価されております。
 この決定を受けて「堺市 市長公室 歴史文化都市推進室」より同室主催による「仁徳陵の清掃」への参加呼びかけがあり、去る7月10日(土)に当クラブから会員11名が参加しました。 この仁徳陵清掃奉仕は当クラブが平成6年から継続事業として行っている事業の一つでありますが、現在では地元連合自治会などにも呼びかけ「仁徳陵をまもり隊」として行っている事業であります。 このようなこともあって、今回、堺市より呼びかけがありました。当日は、当クラブのほか、地元連合自治会などを含め総勢50数名の参加者で実施されました。
 この清掃活動終了後の午前11時から近くのレストラン会議室において、竹山堺市長出席のもとで各種団体代表者との会合が持たれました。 その中で同市長からは、「暫定一覧表への掲載は登録へのスタート地点に立ったということであり、これから越えなければならない課題はたくさんあります。 人類共通の遺産として保護し、後世に保存し、継承していくために、古墳周辺の環境整備や来訪者の玄関口となる駅周辺をはじめとする周遊路や案内機能の整備など、取り組むべき課題が山積しています。 世界文化遺産登録への意義を充分にご理解いただきご協力をお願いします。」との力強いお言葉がありました。
 このあと、各種団体の皆さん方と堺市長を囲んでの活発な意見交換が行われ、大変有意義な会合となりました。

◇当クラブ会員・作業開始前の集合写真


◇参加者全員・作業開始前の集合写真


◇清掃風景
  



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